先日見学に行った特例子会社は今までとは一味もふた味も違った。
見学案内担当者さんのお話のインパクトが強すぎて、メモを見なくともその内容が頭に蘇るのである。その話題は将来的な社会全体の変動に伴う、仕事と呼ばれるものの変化にも及んだ。
地球全体で木の伐採をしない、ペーパレス社会へと向かっている現在、近い将来、特例子会社のシュレッダー業務は無くなるかもしれない。その時、シュレッダー業務しかしてこなかった障害者社員には一体何ができるであろうか?
既に、スマホやタブレットではフリック入力が主流となっている現在、PCをブラインド・タッチ出来る技術があるから何だというのか?それどころか、将来的には全て音声入力で済んでしまうだろう。パソコン検定を持っているからと言って何だというのか?
さらに「特例子会社は福祉ではない」。だから障害者社員にもジョブ・ローテンションをし、チャレンジをどんどんしていってもらう、等々。
至極、ごもっともなお話である。さらに、だからこそ、2つのことだけは覚えて大切にしていって欲しいと話された。一つめは、「挨拶」。いかに気持ちの良い挨拶を、誰に対しても、毎日毎日していけるか?二つめは、「人の話を良く聴くこと」。一番大切なのはそういった個々のパーソナリティの部分だ、と。これまた、ごもっともである。最終的には人間が社会で働く以上、最も大切なのは人間関係であり、問われるのは個々のパーソナリティだ。
しかしである。こここそが我々精神障害者にとってネックとなる問題であって。発達障害ゆえの特性が、個人的なパーソナリティの問題だと勘違いされてしまうことが往々にしてあるわけで。帰りにスタッフさんに相談したところ、「そこを如何に障害特性への配慮事項として伝えていけるか」だと言われ、ようやく少し落ち着いた。
現実社会の動向を見据え、自分自身を訓練し切磋琢磨していくとともに、いかに障害を社会へと正確に伝えるかもまた自分自身にかかっているのだと、気が引き締まる思いがした。
ペンネーム:ドラ